人生に歴史あり。

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遅ればせながら・・・

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

 

年末年始は、伯母の介護にお節作り、

てんてこまいまいだったさめこですヽ(*^ω^*)ノ

 

おかげさまで、

現在ガッツリ体調を崩しております。

 

なんとなくちゃんと書いたことがない気がするので、

今回はワタシのうつ歴(看護師歴)についてちょろっと書いてみようかなと思います。

 

 

ワタシは、新人の頃からうつ病の治療を続けています。

 

新人の頃は、

とにかくできない自分と

今だったらパワハラで訴えてやるレベルの暴言を受けて、

不眠、パニックを起こすようになりました。

 

休みの日には一日起き上がれず、

仕事に行けば涙が止まらないし、

白衣を見るだけで気持ち悪くなってトイレにこもる。。。

 

秋風が吹き始めた頃、

 

「あ、無理だ・・・」

 

と唐突に悟ったワタシ。

 

看護学校の時に精神科の授業をしてくれた先生の所へ。

 

受診に予約が必要とか、

初診予約を取るのが意外と大変とか、

何にも知らないまま病院へ行ったのですが、

ワタシの顔を見た先生が急遽診察してくれることになりました。

 

休職を勧められたものの、

仕事を休むことで今以上に信用されなくなることへの不安や、

上司に「うつ病」ということができず、

休職は決断できませんでした。

 

いま思えば、

「あの時ちゃんと休んでいたら・・・」

なんですけどね。

 

その時は、

仕事の評価=自分の価値

という概念から抜け出せませんでした。

 

とにかく休むわけにはいかない!

 

その一念のみで働き続けました。

 

担当医には何度も休職を勧められましたが、

頑なに断り続けたのはなぜなのか。

 

今のワタシにはわかりません(笑)

 

内服もしていたし、不眠も続いていましたが、

少しづつ信用を得られるようになり、

場数をこなして自信をつけていきました。

 

本当に振り返っても、

綱渡りの日々だったと思います。

 

そして、5年目。

 

もっと勉強がしたい!

 

なんて意識高い系の波がやってきてしまったのか、

単純に躁状態だったのか、

大学病院への転職を決めました。

 

転職した大学病院は、

見るもの聞くもの全てが新しくて、

時間外も多かったし、

研修や勉強会も多かったですが、

とても勉強になったと思っています。

 

その状態が変わったのは、

大学病院に転職してから一年後。

 

当時、6年目を終えようとしていたワタシにやってきた分かれ道。

 

大学病院に所属している以上、

キャリアアップを検討しなければなりませんでした。

 

管理職コース、ジェネラリストコース、認定ナースコースなど。

 

ワタシはその頃から臨床指導者になりたかったので、

臨床指導者研修の含まれている管理者コースへ。

 

と、その辺のタイミングで、

病院内の電カルシステムの変更。

 

さらに

 

病棟編成の実施によるスタッフの大移動。

 

ワタシが所属していた病棟では

 

「病棟の暗黙のルールを変えたくない残り組」

         VS

「業務改善してやり方は変えていく流入組」

 

という構図が完璧に出来上がってしまいました。

 

さらにアンラッキーなことに、

その年の「業務委員」はワタシ。

 

居残り組と流入組の間に挟まれて、

上司に相談するも、

管理職コースを選択していたため

「あなたが解決していかないと」

「主任になるんでしょ?」

「管理者候補として頑張ってみて」

と、助けてくれる人なし。

 

だんだん出勤が憂鬱になり、

周りのスタッフと関わるのが怖くなっていきました。

 

話すたびに、

「ここにはここのやり方があるのに」

「効率が悪いし、チェック体制を変えた方がいい」

と居残り組と流入組にと言われ、

調整ができない自分が

とても無力で、無能なのだと

毎日突きつけられている気分でした。

 

今考えても、どうしたら良かったのかわかりません。

 

どっちのいうこともわかる。

 

でも、病棟のスタッフが真っ二つに分かれて睨み合い状態。

 

この状態を管理者候補ではあるものの、

たかが7年目の自分に何ができたのか。

 

今でも答えは出ないままです

 

結局、ワタシはそこで重度鬱になり、

ある日突然動けなくなり、

生存確認されました(//∇//)エヘ

 

※詳しくは『ワタシが生存確認されたときの話。』 にて。

 

その後、大学病院を辞めて

老年期病院へ転職。

 

ぶっちゃけ、

急性期とはスピード感が全然違いました。

 

ずっと急性期に所属していたワタシにとって、

慢性期はちょっと物足りないくらいの仕事量でした。

 

まぁ、嫌な奴もいましたが、

二人目の上司に恵まれ、

ワタシは存分にやりたい看護、

後輩育成に取り組むことができました。

 

うつ病も寛解状態になり、

看護師人生で一番楽しい時期でした。

 

全力で仕事して、仕事が終わったら趣味(ダーツ)も存分に楽しんで、

友人や後輩と楽しく過ごせていました。

 

でも、家庭の事情によりそこの病院は5年間で退職することになりました。

 

最初で最後の「辞めたくなかった」職場でした。

 

その後、別の県へ引っ越し。

 

前職と同じ老年期の療養病棟に就職。

 

ところがどっこい、

そこは超絶パワハラ➕漆黒BLACKな職場で、

うつ病があっさり再発。

 

しかも、加齢による体力低下もあったのか超重症化。

 

一年半の休職後、上司に勧められる形で退職。

 

「いつでも戻っておいで」

 

部長はそういってましたが、

パワハラしてきたのが「師長」という肩書きを持つ人だったので、

 

「絶対に嫌です💖」

 

と返事しておきました。

 

で、働かないとご飯が食べられない、

ということで施設に転職したのですが、

そこにもいましたよ。

 

パワハラ同僚。

 

顔合わせたら0.5秒で報告を求めてくる看護師。

 

施設長も「あれはひどい」って言ってくれたんですが、

まぁ、人手不足も相まってどうにもならず。

 

胃潰瘍も起こして

2週間で体重12kgほど減りました。

 

介護士と看護師が一緒に働くところだったのですが、

見守りやトイレ介助、おむつ交換などを

介護士と一緒にやっていて、

そのために介護士がワタシの仕事を間接的に手伝ってくれていたのが

気に入らなかったのだとのちに聞きました。

 

介護士と看護師に上下関係はありません。

 

協力しながら仕事をするんじゃダメなんですか?

 

そう言った時、

パワハラ看護師は

「あんたが余裕ぶって介護の手伝いするから、他の看護師も手伝わされて迷惑」

「こっちは看護師にしかできない仕事をしてるのに、介護の仕事なんてやってる暇ない」

と怒鳴っていました。

 

マジかーーー。

 

まぁ、確かにワタシが介護士の仕事手伝ってたら、

他の人もやんなくちゃってなるよね。

 

でも、協力して仕事するのに看護師は全部できるじゃん。

 

生活援助も医療処置も。

 

おむつ交換だって介護士と一緒に入って、

その時に皮膚状態とか確認して処置しちゃえばいいんじゃないの?

 

いちいち介護士の報告を待って、

処置台持ってぐるぐるまわるよりよっぽどいいと思うんだけど。

 

うーん。

 

分かり合えなかったな。

 

 

んで、

その頃ワタシは今の旦那と出会い、

出会った日に付き合い始め、

4ヶ月後には入籍というスピード婚。

 

旦那に勧められて、

結婚を機に一度看護師を辞めることにしました。

 

看護師を辞めて、専業主婦になりました。

 

5ヶ月くらいはまぁまぁ楽しかったです。

 

ワタシ自身、古い考えを持っていたので、

 

旦那さんが外で働いて、

ワタシは家事をこなして、美味しい晩ご飯を作って待つ。

 

そんな生活が理想でした。

 

うつ症状も胃潰瘍も落ち着き、

のんびり専業主婦していましたが、

だんだんと不安が込み上げてくる日々が始まってしまいました。

 

専業主婦になり、

仕事に関するストレスは無くなりました。

 

家事も一人暮らしが長かったので、

多少面倒ではあってもストレスというほどのことではない。

 

でも、代わりに現れたストレスがありました。

 

「お金が自由に使えないこと」

 

これです。

 

 

専業主婦になり、旦那から生活費をもらってそのお金で食費や日用品を買う。

 

母もやっていた当たり前にことが、

ワタシにとっては物凄いストレスだったんです。

 

自分でもドン引きするほど。

 

でも、働きたくない。

 

看護師に対する未練なんてかけらもない。

 

でも、お金がない!

 

そんな葛藤の末、

「看護師以外で働いてみよう!」

と閃きました。

 

看護師しかやったことのないワタシにとって、

我ながら目から鱗の発想でした←

 

早速、近くのドラッグストアのレジのバイトを始め、

月に4〜5万の収入を手にすることができました。

 

レジ業務はとても楽しかったです。

 

お客さんとちょっと話をしたり、

ちょっと気を利かせて手伝うことで「ありがとう」をいただけたり。

 

「今日はあなたがいるから、ここのレジに並んじゃったわ」

 

なんて言ってくれる方がいてくれて、

店長からも褒められて、本社からも褒められたりして。

 

一緒に働く人もほとんどが歳上の方でしたが、

みんな親切で、優しくて、良くしてくれました。

 

でも、

ワタシの目に真っ先に入ってくるのは、

 

「ふらつきながら歩くお年寄り」

→転倒!

 

「毎日同じ商品を大量に購入するお年寄り」

→認知症?!

 

ハラハラしながら目が追ってしまうんですよね。

 

「あぁ、歩行付き添わないと危ない」

「あぁ、これ本当に全部必要なのか確認したい」

 

完全に看護師脳。

 

別にあのお客さんが転倒しても、インシデント書かなくちゃいけないわけじゃない。

お客さんが毎日同じものを大量に買っても問題ない。

 

わかっているけど・・・。

 

あぁ!気になる!!

 

毎日そんなことを考えていた時、

ふと思ったんです。

 

あぁ、ワタシは看護師っていう仕事が好きだったんだな。

って。

 

毎日きつくて、しんどくて、鬱にもなった。

 

うつ病の定期受診もまだ終わらない。

 

内服もだいぶ減ったけど、なしでは生活出来ない。

 

だるくて、しんどくて、主婦業ができない日もある。

 

それでも、看護師に戻りたいと思ってしまいました。

 

そんなわけで、

現在は正社員ではなく派遣ナースとして看護師をしています。

 

 

これは、あくまでもワタシの場合です。

 

ドラッグストアで働くのは本当に楽しかったですし、

他の仕事もしてみたらよかったかな、とも思います。

 

でも、看護師として患者さんや利用者さんと関わることは、

ワタシにとってはとても充実しています。

 

いろんなスタッフがいますし、

いろんな患者さん(利用者さん)がいます。

 

ストレスを抱えることもあるけれど、

結局は人と関わることが好きなんですよね。

 

年齢的にもいいおばちゃんになったので、

意見が無視されなくなったということもあると思います。

 

看護師をしている自分が好きです。

 

のめり込みすぎて旦那に怒られることもあるけど(笑)

 

「あーーーーーー!このピーーが!!」

 

なんて毒吐くこともあるけど。

 

数ある職業の中から看護師を選んだあなた。

 

もし、この仕事が辛いだけになってしまったら、

一度離れるのだって全然ありです!

 

他にも仕事はたっくさんあります。

 

自分を嫌いにならない生き方って、すごく大事です。

 

この20年。

 

看護師として生きてきて、

途中でちょっと寄り道して、

ワタシは看護師に戻りました。

 

それは、

ワタシの意志が強いとか、

責任感があるとかじゃなくて、

ただどうしようもなく、

自分は看護師なんだと思い知ったからです。

 

友人には

「さめこは、どこまでも看護師だねぇ」

と笑われます。

 

幸か不幸か、

骨の髄まで看護師魂が染み付いてしまった感じというか・・・。

 

それに、「看護師」と言っても、

いろんな看護師がいます。

 

ワタシは、今は訪問入浴に関わっていますが、

いづれは「看護師の指導者育成コンサルタント」になりたいです。

 

現場に入っていても、

ワタシが注目するのはスタッフ間の会話や表情。

 

サービスの安全、確実、安楽なサービス提供と同じくらい、

スタッフ同士のコミュニケーション向上に関わっていきたいと思います。

 

そしていつか、

看護師という仕事が「責任感」や「やりがい」だけでなく

「楽しさ」や「達成感」を感じられる仕事に変えていきたいと思います。

 

 

今回は新年一発目のブログということで、

決意表明も兼ねて、ワタシの看護師人生を書いてみました。

 

ちょっと長くなってしまいましたが、

最後までお付き合いありがとうございました。

 

 

 

 

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